2012年5月 5日 (土)

霧にさまよって、長谷川等伯を思う。

Dsc034432

 「長谷川等伯でございます。お申し付けの絵を持参いたしました」
 等伯の言上を待って、介添えの二人が屏風を開いた。
 縦五尺二寸、横十一尺八寸の六曲一双の屏風を立てると、霧におおわれた松林が忽然と姿を現した。
 霧は風に吹かれて刻々と動き、幽玄の彼方へ人の心をいざなっていく。
(日経新聞5月8日抜粋)

 尾瀬、至仏山山頂、半分雪に埋まり春の嵐にたえる唐松の梢を写真に撮りました。霧に浮かぶ松の姿に長谷川等伯の松林図が連想されます。桃山時代の天才絵師長谷川等伯の生涯を描いた日経新聞連載の小説「等伯」は、いよいよ5月13日で最終回。折りしも尾瀬から帰ってくると、3月に行った京都の智積院から季節の便りが来ていて、長谷川等伯の絵を眺めた感動も思い出されます。

Dsc034421  抜粋は秀吉はじめ家康など有力大名の列席する場で、等伯が後にその代表作となる「松林図屏風」を献上する場面。絵の出来次第では切腹も覚悟しなければならない状況でも、等伯は既に悟りの境地に達していました。息子の死を受け止め、自身の絵への強い思いを仏心によって超越していたのです。現代美術にも通じるアート感は当時の人々を驚かせたに違いないでしょう。
 長谷川等伯に関連するかしないか、出来事が連続して私自身が霧の中をさまよっているような不思議な気分(笑)。
(PHOTO■SONY DSC-TX5/自動露出)

関連記事≪京都、朝勤行、等伯、智積院。≫

| | コメント (0) | トラックバック (0)

まだまだ冬の尾瀬に遊ぶ。尾瀬・至仏山。

Img_25151  霧に包まれた尾瀬ヶ原をどれくらい歩いただろう。先の見えないホワイトアウトに、時間と距離の感覚を失くしてしまう。時折出会う木立に生命を感じてほっとする。しかし、またしてもその先は見えていない。 頼れるのはコンパスと薄い踏み跡だけだ。

Img_25201  ようやく目の前に現れた見晴の山小屋。正直安堵した。登ってきた至仏山の疲れが限界に達していたからだ。中年オジサンは体力の衰えを隠せない(笑)。
 このゴールデンウィークはN森くんと2度目の尾瀬に行ってきました。前回はミズバショウがよく育った花の季節6月中旬でしたが、今回はまだ雪に閉ざされた5月、まだ「冬」の尾瀬に行ってきました。

Img_25541  冬の尾瀬の魅力のひとつは、どこまでも続く尾瀬ヶ原が一面雪原となっているところではないでしょうか。夏は色とりどりの花で飾られた尾瀬。冬は真っ平な尾瀬ヶ原が真っ白になり、白と黒のモノトーンの世界。厳冬期には豪雪に埋まる尾瀬も、5月になればあちこちに木道や池塘も現れます。訪れるものもまだ少なく自分たちだけの尾瀬を楽しめます。
 深夜に家を出発しておよそ7時間半のドライブ。尾瀬に着いた朝から雨模様でした。でも今回はめまぐるしく変化する天候の中、尾瀬の色々な姿を楽しめました。

Dsc034191  至仏山への登りはじめは雲間から青空ものぞかせる良天。よく締まった雪面は踏まれていて歩きやすい。こういうところが積雪期の良いところ。鳩待峠からゆるやかに登っていく登山道。こんな気持ちの良い登りが続くルートはなかなかない。

Dsc034241 Dsc034351  雲が切れると、「おぉ、尾瀬ヶ原や」。去年登った燧ヶ岳からは天気が悪く全く展望がなかったので嬉しい。やっぱり広いなぁ。
 前峰の悪沢岳にはBCボーダーさん達が小さな沢をハーフパイプ代わりに滑ってました。山岳スキーヤーさん達もたくさんいて羨ましく拝見させていただきました。バッジテスト一級のN森としてはメラメラか(笑)。

Dsc034481_2  頂上に近づくと完全にホワイトアウト。風や雨も強まって辛い~。稜線をトラバースしていく足元の下、急角度に降っているような気もしますが全く見えず。滑落の恐怖が有るのか無いのか疑心暗鬼に歩いていく。実はわたくし、先日から足を痛めていて、本日は傷みを騙し騙しにゆっくり登る状態。痛くて辛い、そして靴は・・・。

Dsc034491  とうちょ~う!! 標高2228m。東北の雄、百名山、至仏山。ようやく着きました。「仏に至る山」とは修験にちなんだ山の名でしょう。いにしえの修験者が里から歩いたとすれば、一日では到達できない山です。最後ゆるやかに歩を重ね頂きに立ちつくせば、今日は見れませんでしたが、目の前に浄土の原(尾瀬ヶ原)を見おろしたに違いないでしょう。昨年尾瀬に来た時見た至仏山、是非登ってみたいと考えていました。イイ山だなぁ。

 下山は一気にシリセードで降りました(笑)。頂上から降りるのは通常鳩待峠へ戻るルートを使いますが、積雪期は高天ヶ原経由で山ノ鼻にも降りれます。さらにN森が仕入れてきた情報によると、一本北にあるムジナ沢をシリセードで一気に山ノ鼻に降りるウラ技があるとのこと。行ってみれば最高のすり鉢沢で、2時間の通常コースタイムを30分で下山できる超ショートカットコースでした。N森エライ! 最高に楽チンな下山ができました。上部は保護植物のハイマツ帯になっているので注意。それから、ずっとシリセードですから尻が最高に痛くなります(爆)

Img_0008_32  シリセードルートの中腹から見えた尾瀬ヶ原の全貌。足元の斜面はまだまだ気持ちのよいゲレンデ?を残しています(楽)。猫又川に到達すれば見本園方向に向い、山ノ鼻の至仏山荘に到着。美味しいコーヒーと手作りドーナツでゆっくり出来ます。一番彼方に見えているのが今夜の小屋がある見晴。

Dsc034671  至仏山荘でよく休んで、さあ元気よく見晴へ出発です。まったく高低差の無いフラットな5キロ余り。向こうの方、山の下だけが見えている燧ヶ岳の麓が見晴らしです。

Dsc034621 Img_25661  川も雪に覆われていたのでしょうか。だんだんと雪が崩れていって、木道の上だけ大きく雪が残ったようです。また、木道と木道の間の隙間が空洞になっていて、カワイイ穴が連続。これを踏み抜くと大変。自然のトラップに掛かりそうです。

Dsc034821  霧が前方を隠して、先行する団体さんも苦労している。まだ着きませんね~。


 ”あッ!誰かが行き倒れている。大丈夫ですか?”(笑) 

 あーもー疲れたー。延々と続く雪上のフラットな道なき道。だんだん歩くことに飽きてきて、「行き倒れごっこ」でもやって気を紛らわせます(笑)。N森ちょっと顔がニヤケてる?

Dsc034851 Img_24981 Img_25091 Dsc034891 墨絵の世界を行く。どこまでも、どこまでも行きます。霧、弱い雨、風。

Img_25241 Img_25261  ようやく着きました~。今夜の宿、弥四郎小屋です。今回は右の別棟に泊まりました。尾瀬ヶ原が見渡せるお風呂のある方です。料理は燧小屋には及びませんが、ゴマ豆腐など小鉢も多くてなかなかいけました。でもこの夜、ひと晩中雨が降り続いたのですが、部屋の直ぐ外にあるトタン屋根に落ちる雨音がうるさくて。静かに美味しく過す尾瀬は、やっぱり燧小屋で決まり。

Img_25441  竜宮や、山ノ鼻から鳩待峠の間にミズバショウがちらほら咲いてました。まだまだ雪深く寒いのに、高山植物はけなげ。

Img_25892  帰り道、山ノ鼻を出る頃にかなり晴れてきました。立ち去り難いです。こんな素敵な日にまた来たい。

Img_26242 Img_26271  鳩待峠に無事帰ってきました。お疲れ様~。なんと言っても今回は、N森君のおかげで満足な山を過せました。
 それからこの靴の写真はというと、実は今回わたくし、靴を家に忘れてきたんです(驚)。N森の車にちょうど乗っていたゴアテックス仕様のトレランシューズを借りました。おまけに足も痛くて、途中でどうしようかと思うことも。最初、至仏山に登ることも諦めていたんです。でもN森の励ましで登りきることができました。N森ありがとう。シリセードルートも最高でした。

P50501331_2 Img_26351 Img_26381 Img_26401 Img_26311_2  山から降りてきたら麓の村では桜が満開でした。空を覆うほどに咲く花。東北の桜は花の咲き方がとても力強くてびっくりしました。ここにはようやく春がきたんだなぁ。
 そして帰りに寄った「山のレストラン水芭蕉」が風呂も食事も最高でした。湯がすべすべで静か。岩魚の刺身や塩焼き、舞茸ごはんに、極めつけはソバ。どれも美味しくてお腹一杯になりました。もう、素晴らしい尾瀬訪問でした~。最高!!

関連記事≪OZE NATIONAL PARK/尾瀬国立公園・燧ケ岳≫
関連記事≪OZE NATIONAL PARK/尾瀬国立公園・
ヶ岳2≫

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年4月 7日 (土)

古代と繋がる山。奈良・三輪山。

Img_24731  三輪山は太古から神の住む山といわれ、日本最古の神社「大神神社(おおみわじんじゃ)」のご神体である。今も自然崇拝が残る。神社には壮麗な社殿があるが、それは本殿ではなく拝殿で、三輪山そのものを拝す。周辺は奈良盆地南東部、崇神・景行天皇など200から300メートル級の大型古墳が並ぶ古代史の中心的場所である。

Img_24272  蛇を祀った大神神社はもともと「三輪明神」とも呼ばれた。結婚間近の娘を身ごもらせた主を探すため、夜やってくる主の衣に糸を通し辿っていくと、糸は鍵穴を抜け大神神社の前で途切れ手元には「三輪」分の糸が残っていたという伝承。

Img_24311  大和の地に日が昇る東の方角にあり笠置山地から張り出した円錐型の山は自然崇拝の聖域となり、今は近鉄大阪線も通る初瀬川沿いを東へ向う交通の要衝地、そしてその場所を押さえた豪族を祀る神地として三輪山は人々の土着信仰を集めたと考えられている。オオクニヌシを助けた大物主も祀る。摂社檜原神社は、崇神天皇期に伊勢神宮の鎮座地を定める過程で最初の候補地となった場所。能の「三輪」では、”思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。”と詠まれている。

Img_24621Img_24471_2 Img_24511_2  早起きして午前中に奈良まで行ってきました。以前からどうしても押えておきたかった三輪山です。江戸期まで三輪山は一般人は入れない禁足の山。明治以降「入山者の心得」が定められ、許可を得られたものは入山できるようになりました。でも一切の飲食・写真撮影が禁止。住所と電話番号の正確な記入が求められます。下山以降も山中でのことを他人に話すことを慎むのがマナーでもあります。許可は境内を5分ほど行った摂社の狭井神社社務所で受付。今回我々は300円を支払うことで、特別?に入山を許可されました(笑)。自分で御払いをし、入山中外してはいけないタスキは、「まっすぐ下げてください」といわれました??。首から真っ直ぐ下げるが正解。斜め掛けにしないように(笑)。

Img_24521 Img_24441  ここからがしめ縄で結界の張られた「神体山」。しめ縄は雄と雌の蛇が交尾していることを表します。
 いよいよ出発。頂上は標高467m。往復で約2時間。3時間以内に下山しなければなりません。登山道は息子の後ろに見えているようによく整備されています。途中には、ご神体を拝する前に禊をする滝場や、中間地点に中津磐座(いわくら)があります。滝場には簡単な更衣室。実際に服を脱ぎ、禊をしている方もいるようです。終始展望は得られませんが閉鎖感はありません。頂上部は広く平坦で、拝殿に向う方角はほぼ真東、伊勢神宮の方角となります。その奥に大きな石群があり、これが奥津磐座。さらにその奥を調べると山登りするものには馴染みの黄色や赤のテープ。山マニアの形跡が見られました。初瀬に向うルートでしょうか。

Img_24281  神社の境内で「祓戸神社」という末社を発見。わが鈴鹿国見岳南尾根のピーク「ハライド」と同じ読み。もともと修験場だった御在所岳三岳寺は廃仏毀釈以前は神仏習合の大神神社系神道だったのかも、と想像が巡ります。

Img_24761  展望地から大和盆地を眺めます。大神神社の大鳥居の向こうには大和三山。その向こうには金剛山。古墳時代から飛鳥、そして奈良、日本の古代文化の舞台とそれを見てきたお山たち。ほんの数時間のことでしたが山が古代ロマンへ連れて行ってくれました。三輪そうめんは食べ損ないましたが(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月20日 (火)

海、歴史、熊野古道。伊勢路・松本峠。

Img_22921  きらめく海を見るのは久しぶりだなぁ。自分の記憶への懐かしさと、海を起原とする人の本能が感じる懐かしさ。自分は戻ってきたのだろうか。今日の海は体をゆっくりと揺らすような感覚・・・、うまく説明できない。

Img_22351  今回は、息子とI籐君とで熊野古道の伊勢路松本峠へ行ってきました。一番列車で降りた無人の新鹿(あたしか)駅から海に出る。誰も居ない夜明け前。あ~、とても静かな海です。さわやかで、よせる波の音がわずかに聞こえてくるだけ。なんとも言えない心地よい朝の海岸歩き。
 海と陸の境を行く歴史の道、熊野古道。ロマンチックですよね。同じ三重県に住みながら、いつか来たいと思っていました。現在大河ドラマ「平清盛」は、熊野詣によく出掛けたといわれる鳥羽上皇と待賢門院の出番が多い。これをきっかけに色々調べていたら、いても立っても居られなくなりました。

Img_22201   まず訪れた新鹿にある徳司神社。境内の基部は海で洗われた丸石を積上げています。海との繋がりを示すアイコン。縄文期の土器類が出土していて、元々イザナミなどの神を祭っていたのではなく、この場所そのものの持つ力を使って海難無事などを祈祷した場所だったともいわれています。本殿への階段横にある大楠は幹周7m以上もある神木。生命の「気」を感じる。また境内から離れた神木は不思議な玉が幹から成長していて、神の居所を意味する玉砂利を敷きます。歴史的に近いところでは、三河地方と海上関係があったことを示す「尾州」の文字が入った灯篭が慶応期に奉納されている。

Img_22232Img_22252 はじめは巨木や巨石を純粋に崇める原始の自然崇拝、そしてその土地の漁業や鉱山など経済活動と関係するご利益信仰、また念仏や教義を旨とするもの、権力と結びつく権威信仰など、神聖な場所というのは信仰が時代を経て多層化していく。熊野古道を歩くと素朴で純粋な風土から、その土地の信仰変遷が見えてきます。

Img_2341n1  大吹峠の竹林です。むかし峠には茶店などがあったとのこと。家のあった場所には竹が植えられました。竹林はそのなごり。夏にやってきたら、清涼感たっぷりの峠歩きです。さわやかだなぁ、ちょっと短いですが山歩きの醍醐味を感じられる。

Img_23731  熊野古道といえば、石畳。熊野詣が盛んになりはじめた鎌倉期に作られたものは、石と石との間隔が広く重厚でどっしりとしたものが使われています。多雨から道を守るために敷かれた石畳。頑丈に作られたおかげで道は現代まで生き残り、私たちを過去へタイムスリップさせてくれます。歩くことそのものが歴史を感じる行為。しっかり据えられた敷石は浮いたり揺れるものはひとつもなく、そしてリズム感がある。一日に何十キロも歩き続けた昔の旅人を思って作られた道。その傾斜、石の配置、段差、千年の時間をかけて完成された道です。一歩一歩踏む石それぞれから何かが伝わってきます。

Img_22931 Img_22861_3  波田須の村はたくさんの花が迎えてくれる。リンドウやボタン。折々に花が咲きます。古道歩きの人を歓迎してくれている気持ちが伝わってくる。この村には、秦の始皇帝の命で不老長寿の薬を探しにやってきた徐福の墓があります。数世紀も前の渡来人の墓を守る波田須の人たち。やはりこの村の人たちは他所から来た人たちを大切にする土壌があるのか。オジサン、オバサン、すれ違う人たちの挨拶もさりげなく嬉しい。

Img_23631_2  大泊の砂浜には、たくさんのハリセンボンが打ち上げられていました。息子は興味津々。私もI籐君も童心に帰ります(嬉)。

Img_23971 Img_23861  鉄砲傷で有名な松本峠の地蔵。猟師が妖怪と間違えて鉄砲で打ったとされる。ここも竹林が素晴らしくて雰囲気がとてもイイ。休憩に好適地。
 石畳は江戸期に入ると間隔が詰ってくる。素朴さは消えますが、職人仕事で洗練されて完成度が高い。この時期には熊野詣は庶民にも爆発的に広がって「蟻の熊野詣」とも表現されました。北アルプスの山小屋がするようにお客である旅人が歩きやすいよう道を整備したに違いない。また争議などがあった場合、奉行所から古道整備を言い渡されたこともあったといいます。江戸から300年、張り付いた杉の根が風格を感じさせます。

Img_2401n1  松本峠から海の方へ向うと絶景の展望地。七里御浜は20キロ以上続く熊野屈指の海岸線。8月にある先祖供養の花火大会は有名。どこまでも続く海岸線は見ていて飽きない。この海岸線の行き着く果てが熊野川河口、新宮熊野速玉大社です。海が穏やかなときの熊野古道はこの海岸線を歩きます。熊野古道でこれほどドラマチックな展望地はない。

Img_24221_2 Dsc033261 Dsc033301  さあ松本峠を降ると熊野の町です。木本高校野球部の掛け声が聞こえてくる。春の選抜は今日からだったか。梅や桃、早咲きの桜は散りかけていました。町まで食い込む山稜は熊野城があった要害山。その向こうが目的地の「花の窟(はなのいわや)」。
 町のひなびた商店街はところどころに古い名残を残します。お風呂屋さんのアーチには、海の「波」と岩屋の「山」を表すシンボルでしょうか。街道のあちこちに海と神話のアイコンが隠れています。

Dsc033691

 

 海に出ました。薄曇りの今日は海の蒼がより深い気がする。古代装飾によく使われた瑠璃色にも見える。気が遠くなるような長い時間波に洗われた砂利浜。波が寄せる音と呼応して、ザーと丸く削られた玉砂利の寄せる音が印象的です。数十キロも続く浜は海と陸との境界線で見えなくなって、永遠に続くものかと錯覚させます。そして振り返ると、永遠の御浜の入口を護るようにそびえる窟(いわや)。

Dsc033623  海から見る「花の窟」は、叢林(そうりん)に覆われる古墳形をなす。母神イザナミの墓といわれます。

Img_24131 Dsc033512  花の窟を松本峠から望んだときには、母なる海に迫る山の神とも見えました。この大岩に綱を掛け花をつけた縄旗(かつては朝廷から錦旗が贈られた)を吊るす行事は現在も行われているが、それはさながら「海の神」と「山の神」との力比べ、綱引きとも想像してしまいます。

Dsc033522 Dsc033603  花の窟境内には手清めの横に大きな丸石が鎮座する。よく見ると海で洗われてできたものではなく、人の手であえて丸く削られた大石。海の神をシンボリックに飾ったのか。それとも「玉」と結びつけて男性(山)との関係を表したものなのか。またイザナミはここで火の神カグツチを産んだともいわれている。「玉」は「子」なのか、分かりません。
 窟の本体たる大岩の壁は、火山性のものが海に侵食された岩肌。有史以前は火山帯だったと思われる紀伊半島。ここまで溶岩(火の神)が迫ったのか。地球の核から湧き出たエネルギーの痕跡。フリーで登れそうな(笑)手掛りは溶岩が冷えるときにできた空気の穴。

Dsc033341  産田神社の玉砂利。七里御浜で洗われた浜石が本殿に敷き詰められ邪を払います。日本書紀には、イザナミはこの場所でカグツチを産み亡くなり、花の窟に葬られたとされる。鳥羽上皇の偽息、子になかなか恵まれなかった崇徳天皇は熊野には向わず産田神社に御幸したともいわれ、平安期には安産・出産祝いを祀る相当に尊まれた神社だったようです。またここには神雛(ひもろぎ)と呼ばれ、社殿のなかった古代の石で囲んだ祀り場が残っています。

Dsc033331 Dsc033361 Dsc033371 Dsc033381  産田神社で乳子の息災祈願に偶然出会いました。本殿の前で玉砂利の上に直に置かれた乳子を神主がお払いします。砂利石そのものが霊石とされ、邪を払い福をもたらすものだという古代の考えがこの儀式には残されていました。初孫だったのか、お祖母さまは本当に嬉しそうでした。

Dsc033431 Dsc033422  神雛(ひもろぎ)、そしてここにも神木を祀る祠と玉砂利。またまったく残念なのは、横を流れる産田川に面して禊場の遺構が残っていたのですが先の災害で川が氾濫し消失したようでした。

Bmp1  そして、この「産田神社」と先に行った「花の窟」は距離的に離れていますが、一対で信仰の場所を成立させていたようです。地形図で見ると産田神社と花の窟は完全に東西の位置関係になっていることが分かります。「東」は生命の出ずる方角で、「西」は黄泉国への方角です。イザナミはカグズチを産み、そして黄泉の国に去ったのです。この位置関係は生と死の通り道を強く象徴するために定めたと思われます。
 もうひとつ、熊野灘は常に荒れている海で、海に面し山の迫る古道はいつも迂回を余儀なくされていました。海に突き出た花の窟も例外ではありません。今も海が荒れると花の窟と海の間を通る国道は通行止めされ、御神体の窟を貫く(驚)トンネルで迂回します。地図の上部、馬の戸から中央の北村地に破線があります。これが迂回する古道です。そして北からやってきた旅人は海が荒れていた場合は迂回路を通って山越えをし、そうです産田神社に出合いました。産田神社は海が荒れて花の窟を訪ねることが難しいときのための、代参地でもあったと思われます。

Dsc033751_2  暴れん坊将軍で馬に乗った吉宗が走ってきそうな光景(笑)。実は熊野駅近くに車を置いてたので、それからは車で移動でした。本当は浜歩きはしなかったので、わざわざ車を停め二人を歩かせてこの写真を撮りました(笑)。
 でも七里御浜はそれほど気持ちの良い光景だったんです。海と共に歩いた一日。こんな経験初めてだったので、嬉しくって三人ともずっとテンション高くって、私はこのブログを書くのも未だ興奮気味。とうとう収拾のつかない盛りだくさんになってしまいました。歴史夢想的な部分も多く、的外れで大間違いなところはお許し下さい。最近歴史探訪し過ぎて(笑)、こうなってくるとシンプルなアルペン登山の魅力が際立ってくるような・・・。それでも熊野古道と熊野の海、またやって来たいです。

Dsc033481 Dsc033861  花の窟の横にある「花の窟亭」でお昼を頂きました。海鮮丼など元々すし屋なのでネタが最高。皆で食べたサンマ寿司がまた旨くて、とりあえず入った店でしたが掘り出し物でした。
 帰りに寄った熊野古道センターのお風呂「夢古道の湯」は海洋深層水の湯で、これがスゴイ!温まり過ぎるくらい温まって、いつまでも体が火照って大変でした(笑)。最高の湯です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 4日 (日)

THE HIGASIYAMA MOUNTAINS/稲荷山から華頂山・京都一周トレイル。

Img_19762  東福寺本堂の大天井画。この墨絵は「火事除」「悪霊退散」を意味している。高さ25m、間口40mと、建物のスケールも凄いのですが、堂内の空間も高さ20mはあるかと思われる天井から龍が発する緊張感が伝わってきて圧倒されます。東福寺、山号は慧日山(えにちさん)。天井絵は、3月に三日間だけ一般公開があるそうですが、普段でも入口の格子からのぞけます。

Img_19742  手前が三門(山門)、後ろが本堂です。I籐君もビックリの山門、高さ22mでデカイ。室町時代の建築で国宝。う~ん、伏見を出発して稲荷山へ登った京都一周トレイルは、一旦東山連峰を降りて町歩きになります。そこに、いきなり現れる巨大禅寺、東福寺。”奈良東大寺の「東」と興福寺の「福」を頂いた、ありがたいお寺です”とウンチクがでる。
 前回の記事では智積院での勤行などをお送りしましたが、今回はその前日歩いた京都一周トレイル「東山」を紹介します。トレイル地図どおり山を降りての町歩きは、どうしても道草してしまいます(笑)。連峰稜線を歩いた方がいい?

Img_19381 Img_19391 Img_19401  朝一番、京阪「ふしみいなり」駅は、駅自体が既に境内に入ったようなデザインで気分が盛り上がります。また駅近くには、あの「出町ふたば」の姉妹店「いなりふたば」があります。いきなり豆餅で出発を景気づけ。参道のお土産屋では稲荷寿司も売ってる。これらが朝飯になって、お腹一杯!?

Img_19512 Img_19492  さて本殿を過ぎると、記念撮影するお姉さん方が気になりますが、いよいよトレイルは伏見稲荷奥宮、稲荷山に向う千本鳥居へ突入。本当に千本の鳥居が連続する参道。各所に祈願所と茶店があり、休み休み奥宮まで向います。稲荷山に登っていきますので結構な高度を稼いで、途中脱落する人もかなりいます。いつの間にかお姉さん達も居なくなって、信仰心のある人や我々のようなハイカーだけになってしまいました(笑)。

Img_19591  稲荷といえば狐さま。陶器の飾り物や絵馬などあちこちで、きつねの姿に出会います。

Img_19651  一応この「中ノ社」が稲荷山頂上233mかと勝手に判断して、東山第1峰を制したポーズ。あとから調べると、もう一つ向こうの「一ノ社」が頂上だった(爆)。

Img_19871 Img_19861_2 Img_19911  冒頭の東福寺は広大な敷地に伽藍が建ち並び、この枯山水の庭も必見。方丈(ほうじょう・一丈四方の意、仏像等の置かれた僧らの生活の場)を取り囲むように庭が配されて、時間が止まっています。アルプスなどで見る景色が自然美の極致なら、これは人間が美を追求した果てに行き着いた極美。普遍的なところまで抽象化、記号化したものは美しい。

Img_19971 Img_20101  泉涌寺に着く頃は観光客も最高潮でしたのでスルー。「御寺」とは天皇家との繋がりを示します。京都一周トレイルがこの辺りを町歩きするのは、”この寺を見下ろすこと好まざるごとし”ということらしい。へぇ~。
 通り掛かりに寄った、隠れ家蕎麦割烹で昼食。

Img_20271 Img_20161 Img_20181_2  東海道のなごりも薄くガンガン車の走る国道一号線を潜って、清水寺の手前を稜線に向けて登り始めるとようやく山登りの気分。
 もともと「東山三十六峰」とは洛中から見た東山の連なりを呼んだ総称で、特にそれぞれのピークは特定されていなかったものを京都新聞が特定したらしいです。稲荷山から清水山の間に六つ、清水山から華頂山の間に七つの山があることになっているますが、見つけるのはちょっと難しい。

Img_20341 Img_20321 Img_20311  華頂山のあとは、去年家族と歩いた八坂神社・円山公園からの道を降りました。お目当ては神社前の鯖寿司のお店。箱と巻きといなりと鯖寿司をおつまみに、カンパーイ!お疲れ様でした~。いやーよく締まった肉厚の鯖、旨いです。鯖寿司を食べてると、鯖街道を歩いてみたくなります。むかし鯖を若狭から京都まで運んだ道。以前ヤマケイで取り上げられてたような。この店は昼時は混んでますが、時間を外せばゆっくりできます。I籐君、昼の蕎麦とここのいなりは淡白すぎてお気に召さなかったみたいです(笑)。

Img_20441 Img_20431 Img_20481  夜は四条先斗町へ。宿坊に泊まった七条の智積院からは京阪で行きき出来るんで便利です。ただ門限があったんで、風呂は4時半の一番に入浴。早めに四条に行って、宿坊に戻ったのは9時。とても良い子でした(笑)。
 京都の夜、よくお世話になるお店は、鉄瓶で串揚げが名物。I籐君も自分で揚げる串揚げに満足げ。鴨川に映る祇園の灯を眺めて、京都の夜を少しだけ楽しみました。

Img_21111 Img_21061_2  翌朝智積院でのお勤めの後、天気が持ちそうだったので大文字に登ってきました。昨日は稲荷山や東山公園など色々と高いところから京都の町を眺めるシーンはありましたが、京都を一望する景色ナンバーワンはやっぱりここです。「供養」と書かれた最近の看板、読むと、「送り火」が室町から続く歴史的行事であることを改めて教えられます。ちょっと短いですが桜の頃の早朝、鹿ヶ谷へ降りて法然院、哲学の道で銀閣へ戻る道はお勧めです(注:山歩き)。
 京都の町から眺める東山、比叡山、北山、愛宕山の優しい山並み。そして逆にその山々から眺める千年の町京都。両方の景色にとても癒されます。単なるよそ者である私を懐に入れてくれたような気分にしてくれるんです。う~ん、今度はどの山にしようか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

京都、朝勤行、等伯、智積院。

Img_20621Img_20661   夜明けを迎える大伽藍。いましがた金堂の本尊が灯明に浮かび上がりました。早朝、街はまだ静かな時間、薄明るい空、底冷えがする。ここは京都東山七条、智積院。山号を五百佛山(いおぶさん)と言います。

P30400461  夜が明ける前には暗闇のなか、僧侶が境内を掃き清める音だけが聞こえていました。まだ10代でしょうか、若い人が多い。女性もいます。「おはようございます」と、挨拶をしてくれる。寺に入って仏教を知るために修業する若者たち。今どきの若い人にもこんな人たちがいることに少し救われます。
 今日は真言宗智山派の総本山、智積院の宿坊にI籐君と宿泊。朝の勤行(ごんぎょう)に参加してきました。宿坊に泊まる機会自体が滅多にないこと。それも京都東山の大寺院。普段は信仰心など持ったこともない自分ですが、山に入り無心で歩いているとき、また美しい夜明けを迎えたときなど、何か清々しい気持ちになります。それを信仰心と繋げるには無理がある、でも全く無縁とも言い難い。今回は自分自身の積極的な信仰心を試す機会。充実の朝の時間を過してきました。


P30400721 P30400811  金堂での勤行。大僧正が中央に座し、お勤めが始まります。何十人もの僧侶が一斉に読経する光景は荘厳で身震いします。体育館並みの大空間。金色の装飾。最初こんな場所に自分が居て良いのだろうかと戸惑いますが、次第に読経に吸い込まれていきます。


P30400881  場所を明王殿に移して行われる護摩供養。本尊不動明王と焚かれる火で真言密教の世界観へ引き込まれる。現実と幻想の区別がつかなくなる。本当に特別な時間。

P30401111_2  あっと言う間に過ぎてしまった朝のお勤め。私のような不心得者も受け容れてくれたことに感謝したいです。真言の教義を学んだ訳でもなく。信仰の大切さを教えて貰った訳でもなかったのですが、山に登ったときのような清々しさに満たされ幸せで感動的な気持ちになれました。

Img_21581

 秀吉は五十六歳になる。鶴松を亡くしてしばらくは悲観にくれていたが、近頃では快活さを取り戻しつつあった。
「乱暴者の絵描きも来たか。相変わらずの韋丈夫じゃな」
「ありがたきお言葉。かたじけのうございます」
等伯は玄以の後ろで床板に額をすりつけた。
「殿下の御意をこの者に伝えましたところ、ぜひともお引き受けしたいと申しております」 (日経新聞連載「等伯」2012年2月25日より抜粋)

 現在日経新聞では桃山時代の天才絵師長谷川等伯の生涯を書いた小説「等伯」を連載中。抜粋は等伯が豊臣秀吉の依頼で絵を描くことが決まった一節です。秀吉は亡くなった淀君との第一子鶴松の菩提寺を建てるにあたって、その建物の障壁画を等伯に依頼しました。その菩提寺こそ、祥雲寺、後の智積院です。乱暴者とは、武家出身の等伯は武道にも優れていて、小説ではいくつかの武勇伝も語られています。現在、ストーリーは等伯親子がまさに祥雲寺の障壁画に取り掛かるところ。智積院では400年前に長谷川一門によって描かれた絵が、大火などの歴史を乗り越え、目の前で鑑賞ができます。

Img_20951

P30401181_2

 国宝の等伯の絵は鑑賞することは出来ますが撮影は不可。その代わりに復元された「桜図」と「楓図」が、東山随一といわれる庭園を眺める大書院の障壁を飾っています。ただ、”利休好み”といわれる庭園は侘び寂びの風情をかもしている一方、蘇った障壁画は豪華絢爛で多少違和感があり。それでも当時の雰囲気だけでも味わえる空間は贅沢です。
 このあと収蔵館で原画を見ていると、小説「等伯」のストーリーが目の前で進んでいっているような錯覚に陥ります。手本は狩野派が描いた天瑞寺の絵と決める。礼の間に松と立葵、襖を開けて中ノ間に松と黄蜀葵(とろろあおい)、仏間に松に秋草図の金屏風、等伯親子は競って絵の配置を決めていきます。小説とリアルタイムであることを越えて、生きた長谷川等伯とリアルタイムに居るように思えてきます。絵は色も落ちて劣化が激しいですが、それでも400年の時を越えて、長谷川一門渾身の迫力が伝わってきます。

P30400591  勤行と等伯の絵、大書院の庭園。本当に智積院に居た時間、とても貴重な体験をしました。仏教古寺の持つ空気感を体感し、知と心の感動を得たひと時。耳の奥で、今だあの読経が聞こえてきそうな気がします。
 宿坊はちょっと古い旅館的。清潔な部屋にはテレビもエアコンもあります。風呂も気持ちよかった。一泊朝食付、お金のことを話して申し訳ありませんが、これでたったの6500円です。安い。
 でも実は、私とI籐君、昼間は京都トレイルを歩いて、夕方宿坊にチェックイン。すぐに風呂に入って、その後四条に遊びに行っちゃったんです(笑)。そこでお金を散財しましたのでチャラでした(爆)。罰当たりな修験者ですか? トレイルと四条のお話は次回に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月12日 (日)

京都・愛宕山、柚子の里・水尾。今年は水尾荘さんへ。

Dsc033141  ゆずの皮をまぶした自家製の巨大豆腐が、水尾荘さんの目玉です。鍋に火がまわるのを待つまで、冷たいままでも食べてみてくださいと、おかみさんが勧めるので、これも自家製のボン酢でいただきました。おぉ、これは、おばあちゃん豆腐の味。旨い。近ごろは「男前とうふ」など美味しい豆腐がスーパーなどで簡単に手に入りますが、これは水尾荘のおばあちゃんが朝から支度して手作りした「水尾荘」のお味。バランスは微妙にニガリ寄り。
 まだまだ講釈を垂れると、ここは柚子の里、まぶしたゆずを引き立てるための豆腐なのでそのものの味は薄め、食感は絹ごしながら鍋にも入れるのでしっかり。取り分けるのに、はしを入れるのは禁物。切り口がボロボロになります。合成の凝固剤で固めた豆腐に慣れている方は、京都で自家製豆腐の湯豆腐などを頂くときは気をつけてください。K村くん。(笑)・・・とにかくこれだけでずっと酒を飲んでいたくなる旨さ。

Dsc032821  遅ればせながらトキドキ登山会の新年会、今年も京都・愛宕山登山?に行ってきました。実は私、一月に腹部胆嚢を摘出する手術を受けまして、一週間の入院。その後なんとか仕事は行ってましたが、もちろん山の方は停止状態で、登山と呼べるかは別として、今回は術後初めての山。リハビリ登山として挑んだのです!(笑)。
 朝7時に水尾荘を出発。参加者は息子とI藤君、K村君。朝早い愛宕山、水尾道はさすがに人も少なくて清々しい。でも距離が短すぎました、来年は保津峡から歩きたい。

Dsc032891 Dsc032911Dsc032931_2 Dsc032961_2  というわけであっと言う間に頂上、愛宕神社に到着。一時間半くらい。でも標高は1000mに迫り、しっかり雪も残る境内はイイ気分。広い境内もまだ人は少ない。火の用心の神様ですが(笑)、今年こそ無病息災を祈りました。

Dsc033081  水尾荘の風呂は岩風呂。到着していきなり玄関から柚子の香りがしていますが、風呂場はさらに柚子の香りが充満。シーズンが遅いので柔かくなった柚子を袋に入れてくれてあります。絞ると果汁が溢れる。歩いた後の柚子風呂、あ”~気持ちイイー、堪らん!

Dsc033111  通してもらった部屋も広くて気持ちイイ。履きだしの窓からは山間の里山風景が広がります。日差しが差し込んで眩しい。

Dsc033161  いやもう水尾荘さんの鳥鍋、本当に食べ応えがありました。食べ切れるか心配になるくらいで、最近物凄く食べるようになってきた息子のおかげで何とか完食。それと冒頭でも触れた自家製ポン酢が美味しい。ほんの少し、にんにくが香って食が進みます。関西の水炊き鳥鍋、腹いっぱい食べました。

Dsc033241 Dsc033251  最後のお約束、雑炊も絶品。シーズンが遅くて柚子の登場は少なかったですが、十分食事を満喫。

Dsc033011  ホントは柚子風呂のトップシーズン、12月の冬至にやってきたいのですけど、師走はどうしても忙しい。でもシーズンを外すとゆっくりできます。少し息を切らせて歩いて、愛宕神社参り、そして柚子風呂。一年に一回、こうして神事を行った気分になれるだけで幸せです。
 来年H場くんは生まれた子供を背負ってやってきたいと言ってます。お父さんのガンバリ度が子供の成長祈願にも関わるようなので、来年はロングコースのツツジ尾根で決まりですか?(笑) 千日参りに来ても面白いし、そのときは鶏すきが食べたい。「愛宕山は月参り」とは、よく言ったものです。美味しい山だなぁ。皆さんご苦労様でした~。

関連記事≪京都の隠れ里水尾にて新年会。愛宕山≫

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年1月 3日 (火)

大荒れの幕開け。木曽駒ヶ岳。

Dsc032591  大荒れの八丁坂を降りる私の実兄です。吹雪で宝剣の姿もぼんやりしか見えませんでした。最近山を始めた兄が、まだ冬のアルプスに行ったことがないと言うので、冬山新人にはお約束の木曽駒ヶ岳に行ってきました。残念ながら朝一番は吹雪いてしまって、全く展望は無し。かといって風は程々で、体が浮くような超強風も体験できず。面白くないので、八丁坂を上ったところで退却してきました。

Dsc032351  手と足の先がシビレ、余りの寒さにビビッていた兄も、事前の調整不足で取れかけたアイゼンを極寒の乗越浄土で無理矢理直して、「まだまだ行ける」と持ち前の負けず嫌い振りを発揮(笑)。

Dsc032711  その兄はロープウェイまで戻ってきたら少し天候が回復したので上機嫌。写真撮影に夢中でした。

Dsc032691  私も負けずに約180度のパノラマ撮影。ホント、千畳敷カールはいつ来ても素晴らしい。
 それから、北アルプス槍ヶ岳では遭難があったと聞きました。サギダルの頭の下にある祠で、今年の安全登山を祈って帰りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 2日 (月)

あけまして、おめでとうございます。

Img_1400a1  新年明けまして、おめでとうございます。昨年の年末は、毎年恒例にしている富士山周辺の山歩きに出かけられなかったのですが、10月の鳳凰山で撮った写真がとても気に入ったので年賀状に使いました。今年もこんな素晴らしい山に出遭いたいです。

Img_16461  当ブログの昨年は、スマートフォンのGPSについて書いた記事をとても沢山の皆さんに読んでいただいて、秋にはついにアクセスが10万件を越えました。現在も増え続け13万件に達しています。本当にありがとうございました。基本的に私と息子の山行を記録しているだけでどっちかというと我が家の山用アルバム代わりにしているだけ(笑)。他の皆さんとコミニケーションをとることに消極的なブログなのに、こんなに見て頂いていることに驚いています。今後もこのスタイルは変りませんが、皆様のアクセスも意識しつつダラダラと続けたいと思います。
 あらためて、皆様には、新年も素晴らしい山と出遭えることを願っております。(11月には、ちょこっと、入道ヶ岳へ運動不足解消に行ってきました。後ろは鎌。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月25日 (日)

鈴鹿の山でメリークリスマス。

Pc2400311a_4 (OLYMPUS XZ-1 f/1.8 ISO200 15秒  トーンカーブ修正)

 クリスマスイブの昨夜、鈴鹿の山の麓は素晴らしい夜空になりました。星に手が届きそう。イブの夜を、家族で菰野の親戚宅で過しました。抜け出して夜の山へ。感度を上げたカメラ、雲にはまだまだ明るい街の灯が写ります。最近は忙しくて山に来れないので、せめてこんな夜こそ山を楽しみたい。ひとりで夜空を眺めていると気分が落ち着きます。寒いけど(笑)。
  この写真、先月手に入れたオリンパスのカメラで撮りました。韓国のサイトで購入したこのカメラ。写りより値段に関心が行ってしまってたのですが、いざ使ってみると改めてスゴイ。F値1.8のZUIKOレンズ。飛びぬけて明るいこのレンズは、微細な星の光も捉えてくれます。星を撮るにはちょっとだけ癖があるのですが、扱いを探りながら撮るのがとても楽しい。しばらくハマりそうです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

«夜、空の灯り、街の灯り。野登山。